関係者インタビュー


亡き父の"人類館" 継承尽力「多くの人から力」/AKNプロジェクト・知念あかねさん

202121314の両日に西原町のさわふじ未来ホールで予定される「喜劇 人類館」。1903年に大阪で行われた博覧会で、琉球人を含む“異民族”が展示された人類館事件を題材にした同作が7年ぶりに上演されます。

 

 この上演を企画したAKNプロジェクトの代表でもあり、原作となった戯曲の作者でもある故・知念正真氏の娘でもある知念あかねさんに、作品や復活上演に至る思いなどを聞きました。

 

―どうして今「喜劇 人類館」を復活上演させようと思ったのですか?

 

7年前に父が亡くなったんですが、それ以前も、長らく人類館を演じていた『演劇集団創造』のみなさんからは『みんな年取ってきて、いずれ演じられる人がいなくなってくる』との危機感を聞かされていました。父の死後も、父の作品を好きって言ってくれる人が、今後の作品継承についてものすごく心配してくれて『いずれはあなたがやらないといけないんじゃない』とのお話も受けていました。父の作家生活は創造と共にありましたし、父の作品はずっと創造で演じられてきました。その一方で、創造以外の劇団や役者さんが知念正真作品を演じることになかなか踏み込めない、という現実もありました。その点はもったいないなと感じていました。創造のOBですとか、父と仲の良かった人たちから話をたくさん聞いて、どのように『人類館』を継承したらいいか相談して、演出家や役者の人選を進めていきました」

 

―何か、今だというタイミングがあったのでしょうか?

 

「ずっと舞台の仕事をしたいと思っていて、2018年の夏に、ハンガリーのブダペストに留学しました。ハンガリーだけではなく、イタリア、ドイツ、オーストリアなど各都市でオペラやミュージカルに触れていました。沖縄に帰ってきて、人類館の公演について何をしようかと思いを巡らせていました。私自身バイオリンを弾いていて、音楽の舞台作りについては知っているので、共通する部分も多いのかな、と。その時、どうしても立ちはだかるのは資金面の課題でした。ちょうど沖縄県と公益財団法人沖縄県文化振興会による『令和2年度沖縄文化芸術を支える環境形成推進事業』で助成金を申請できることを知って、企画の実現に向けて動き出すことができました。

 

―父・正真さんはどんなお父さんでしたか?

 

「父と娘っていう関係性でいうと、あまりしゃべらなかったと思うんですけど、一番父との思い出で印象深いのは、小学校の時に学年が変わると、新しい国語の教科書を最初から最後まで音読させられるんですよ。音読し終わった後に『この文章で何が伝えたかったと思う?』って質問されて。それがもし分からなかったら『作家が言いたいことっていうのは、書かれている言葉の裏側にあるから、声に出して100回読みなさい』というのが口癖でした。その時はたいがい酔っぱらってるんで、本当に100回読まされそうな勢いなんですよ(笑)。それに、母が公文の先生だったので“公文の国語の教材”っていう、父にとってはよだれが出るぐらい大好物なアイテムがあるわけですよ。それを毎日させられていましたね。中学入る前に公文の国語の教材、全部終わらせました」

 

どんな想いで正真さんは戯曲人類館を書いたのだと思いますか?

 

「父は一度、芝居の勉強のために沖縄を出て東京に行っていました。それで、沖縄に戻ってきた時に、県外の芝居を経験した自信から、ちょっと『イキって』しまっていた、というか。そんな自分に、はたと気付いたきっかけがあったと思うんです。それが何だったのかは本人のみぞ知ることですが、きっとこの時の父自身と沖縄を取り巻く問題が妙にシンクロしているように感じたことから『人類館』という戯曲につながったのではないかと考えると、私は腑に落ちるんですよ。差別される側と差別する側は場合によっては入れ替わるという構造を、人類館で描いたのだと思います。今考えても父の頭の中は分かりませんけど、何かに突き動かされて書いたのではないかと想像しています」

 

「父はもともと、『演劇集団創造』に所属していた役者でした。当時2、3歳だった私が覚えているのは、父が泥棒か何かの役をやっていて、みんなにボコボコにされる場面を見て客席から泣き叫んで『お父さんいじめるなー!』って言って強制退場させられたことがあるんですよ(笑) 戯曲人類館は、私が生まれた年(1976年)に書かれているんです。結婚して子どもができて、いろんな考えが巡ったんでしょう。(私の)母親に『作品を書こうと思います』って宣言したようなんですよ。そもそも、母によると、それまで作品を書こうとは思ってはいなかったそうで、結婚した時に芝居も辞めようと思っていたらしいです。でも、頭の中では戯曲の題材が蓄積されていたんでしょうね」

 

―本番までどのような心持ちで臨んでいますか?

 

 

「コザ暴動から50年が経過したり、コロナ禍での差別が起こってきたり、いろんな流れが重なりました。私は単にきっかけでしかなく、たくさんの人の力をもらったからこそ、このタイミングになったのだと思います。(成功に向けて)プレッシャーしか感じていませんよ(笑) 『令和2年度沖縄文化芸術を支える環境形成推進事業』では、コロナの状況下で実施できなくなった他の事業もあるはずなので、期待に応えられるよう頑張っていきたいと思います」

この事業は「令和2年度沖縄文化芸術を支える環境形成推進事業」にて、沖縄県と公益財団法人沖縄県文化振興会の支援のもと実施しております。